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平デーラの信仰と伝承
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仲井克己,
「筑後と肥後の七霊宮――七人の姫君の悲劇――」
帝京大学福岡短期大学紀要13号,p.33-57,2001年
仲井克己,
「肥後から筑後に至る遍路道の伝承と信仰」
帝京大学福岡短期大学紀要14号,p.105-127、2002年
平の現人神:4月の祭事 赤旗を立てて祭礼を行うため 豊前街道(源平の古戦場)から,赤旗が見えます。
平(デーラ)の里には,坂梨一族が住んでいます。 【坂梨姓の由来1(伝承編)】 源氏との最期の戦いに破れた平氏一党は, 亀谷の奥の洞窟に逃げ込みました。 昼は山の中に隠れ, 夜は外に出て, 里の人と交わりどうにか露命をつないでいました。 里の人たちから名前を聞かれると, 「坂がない(=たいら「平」)」という意味をこめて, 「さかなし(坂梨)」と答えるようになったと言うことです。 やがて,平和なときが訪れると, 山を下りて平の里に住み着くようになりました。 【坂梨姓の由来2(仲井の推測)】 坂梨一族は,阿蘇系の豪族。 平に残る江戸時代の墓群は, 武士としてそれなりの格式を保っており, 平の坂梨も阿蘇系一族の系譜に繋がるのでは?
平の現人神様
安徳天皇を祀っています
12世紀の阿蘇一族は,菊池一族と手を結び, 肥後各地に進出していました。 大津山・三加和町・久井原などの阿蘇神社は, 交通の要衝や集落の中心地にあり, その土地の支配と密接に結びついていました。 久井原の阿蘇神社境内には, 坂梨一族の名前が刻まれた祠があります。 高田町「牡丹長者」伝説でも明らかなように, こには有明海でも名高い良港でした。 海津の地には,海津阿蘇北阿蘇神社が建っています。 (創建は,正保2年1645) 平の位置[巡礼の道] 平は,瀬高の本吉清水寺〜大牟田三池へ通じる往還の 主要位置にあたります。 【清水寺〜地蔵渡し(赤星伝説)〜平〜吉野釈迦堂〜三池〜玉名】
三池往還の関所のようなところであり, 決して辺鄙な地ではありません。 ちなみに,平と釈迦堂は平家由来の里です。 三加和町「腹切り坂」(豊前街道)の坂下にも, 坂梨家が住んでいます。
平の入り口を守る地蔵尊
この地蔵尊の前から,山に登っていく道が
大牟田吉野の釈迦堂に続いています。![]()
Tommorow will be fine!
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